Troublesome people
その日は珍しくエルリック兄弟が司令部に来ていた。
いつもなら電話やレポートの提出だけで済ませる定期報告を、たまたま隣町まで来ていたからついでにと寄ったらしい。
丁度良かったので、私は兄弟に見せるつもりだった本数冊を手渡した。
先日見つかった古い錬金術書。植物を錬金術で成長させたり、品種改良する為のノウハウが書かれている。
彼らが目指す人体錬成からは少し外れているが、生物に関する錬金術だ。参考になる部分もあるだろう。
案の定兄弟は目を輝かせて喜んだ。さっそく二人で手分けして本を読み耽っている。
一応門外不出の本だから宿やホテルに持ち込ませる訳にはいかない。私の管轄下にある必要がある。
そういう本を読む時はこの執務室で読むのが慣習になっていたので、いつものメンバーも頓着しない。
まあそれは珍しいとはいえ、時々見られる風景だった。はずなのだが。
普段と違ってしまったのは、鎧の弟のとんでもない発言だった。
時計の針が「\」を指し、小さく鳴ったボーンボーンという音にアルフォンスは顔を上げた。
「あ、もうこんな時間だったんだ。すみません大佐。ソファ占領しちゃって。」
「ん?別に構わんよ。今日は来客の予定も無かったし。」
今日この部屋に来客など来るはずがない。街中が浮かれて賑わっているはずだ。
なにしろ明日はセントラルで一番大きな祭りがある。今夜はその前夜祭だ。
私の配下もその警備の責任者として殆どが借り出されていた。今この部屋にいるのはハボック少尉だけになる。
明日は私も少尉も朝から現場に行く事になっていた。祭りに出席するお偉い方の身辺警備の責任者として。
まったく。楽しく騒ごうっていう祭りに、警備が必要な人間がしゃしゃり出て来るもんじゃないと思うんだがな。
ぼんやりしていると、アルフォンスが兄の肩を揺さぶっている。
「ねえ兄さん、7時だよ。そろそろ宿に帰って食事をしよう。」
「んー…。」
「んーじゃなくて。本は明日も読ませてもらえるんだから。もう7時間以上ソファに座りっぱなしだよ。
いい加減お尻が固まっちゃうよ。お腹だって空いたでしょ?」
「んー。…もう少しー。」
「もう少しじゃないから。今日のお昼軽かったから夕ご飯はしっかり食べて欲しいんだよ。
あんまり遅くなると宿屋のおばさんにも迷惑だしさ。」
「後ちょっとでこれ読み終わるから。それまで待てよ。」
「駄目だよ、そう言っていつまでも読む気だろ。ちゃんと食べる物食べて休まないと。兄さん一人の体じゃないんだから。」
・・・・・・・・・・・・・。
一瞬動きの止まった室内の野郎二人。汚れた大人代表格、ロイ・マスタング大佐が部下を手招きする。
「…おい。鋼のは女性だったのか。」
こそこそと小声で話しかけてくる上官に合わせて、ハボックはデスクの影に隠れるように体を低くした。
「ありえないでしょう、それ。大将のどこをどー見たら女に見えるんです。」
「しかしお前も聞いただろう。さっきの弟の台詞はどう聞いても妊婦に向けるそれだぞ。」
問題発言をした弟は、未だ渋る兄に小言を言っている。
しかし妊婦、妊婦ねぇ。あの兄が実は女性とか妊娠とか。考えられないから。
「一緒に旅をしてるんだから、兄に倒れられたら弟も困るでしょうし。そういう意味なんじゃないっすか?」
「ふむ、まあそれなら分かるな。」
何とかまともな結論に辿り着こうとしていた大人二人の思惑は、弟の更なる問題発言で見事に覆される。
「ただでさえ兄さん三食きちんと食べてくれない日もあるのに。二人分必要なんだよ、絶対足りてないよ。」
・・・・・・・・・二人分って。
納得しかかっていた所にこれだ。もはや決定としか思えない。
「もしかしたら男でも妊娠する事があるのかもしれんぞ。」
「さらにありえない事を真顔で言わんで下さい。まだ大将が女だったって方が納得出来ます。」
「なんでだ、あの兄だったら根性で妊娠したっておかしくないだろう。弟の子ならの話だがな。」
「男が妊娠よりもっとありえませんよ。どこをどうしたら鎧の弟の子を妊娠できるんです。」
「そうだな。鋼のだったら、鎧の弟を孕ませたの方が納得できる。」
「だからどうしてそういう発想になるんですか…。」
「鋼のが弟以外の人間の子を身籠もるわけないだろうし。人間やればできるもんだな。」
いやだから、それ以前に大将男ですから。そんな感心してる場合じゃ。やっぱり何かの間違いじゃ。
「それにしても意外だった。あの二人なら絶対兄の方が襲う方かと踏んでたんだが。」
「あんた普段からそんな事思ってたんですか。」
変な上司だとは思っていたが、ここまで変人とは思わなかった。
「普段の鋼のの態度を見ていたらつい考えてしまうぞ。あれは鎧でも構わず襲いかねんと常々思っていた。」
常々って。あんたそんな事常に考えてたのか。大体鎧を襲うって一体何をどうするんだ。
最早どこに突っ込んでいいのかわからない。ハボックはがっくりと肩を落とす。
一方、ロイの方はというと兄妊娠説をすっかり受け入れてしまったようだ。
パッと起き上がると、未だに食事の事で揉めている兄弟に向かって歩き出した。
「鋼の。弟の注意は聞くものだぞ。」
「何だよ大佐まで。俺は食わねーとは言ってないぞ。もう少し待てって言ってるだけだ。」
「だがなぁ、身重の兄を心配するアルフォンスの気持ちも考えてやれ。」
「「・・・・・・・・・ハア!?」」
大佐の言葉に、兄弟二人が思わず素っ頓狂な声を上げる。
そのタイミングもピッタシなのだから、流石というか何と言うか。
だが次の瞬間、エドワードは真っ赤になって怒り出した。
「何だそれ!!一体どこの誰が身重だって!?」
「だから鋼のがだが。」
「ば…っ!!俺が女に見えるってのかよ!なに気色悪い事言ってやがる!!」
「に、兄さん!ちょっと落ち着いて。」
キーキー言いながら今にもロイに殴りかかりそうな兄を、アルフォンスは後ろから羽交い締めにする。
「大佐、本当にどうしてそんな突拍子もない事を考えついたんですか。」
「考えついたというかあれだよ、さっきの君の台詞だ。」
「え?ボク何か言いました?」
「言ったぞ。『兄さん一人の体じゃないんだから。』あと、『二人分必要なんだよ。』だったか。」
「あ…。」
言われて初めて気付いた。さっきはただ単に兄に食事を取って欲しくて言ってた台詞だけど。
「そっか。何も知らずに聞いたら、そういう意味にも取れちゃうね。」
成る程、なんて感心したように頷く弟に、兄の堪忍袋の緒が切れた。鎧を右手で容赦なく叩く。
辺りに甲高い金属音が響いた。
「兄さん、へこむ!鎧がへこんじゃうよ!!」
「うるせー!へこんだら後で直してやる!!それよりお前が不用意な事言うから誤解されるんだぞ!」
「不用意って、だって本当の事だろ?確かに誤解を招きそうな発言だったかもしれないけど。
だけどだからって、男の兄さんが妊娠してるなんて思う人がいるなんて思わなかったんだよ!!」
「その気持ちは分かる。確かにそんな馬鹿な事考えつくやつがいるとは思わないのは仕方ない。」
「そうだよ、まさかそんな馬鹿な事、いい年した大人が考えるなんて思わないもん!」
ボク悪くないもん!と胸元で握り拳の妙に可愛いポーズで鎧が力説している。兄も頻りに頷いている。
「…何だか私が馬鹿だと言われてる気がするんだが。」
「…つーか、まんま言われてるんですよ。」
本当は兄弟に賛同したい気分のハボック少尉。
だがまあ、いくら雨の日無能でも女たらしでも変態でも、部下辞めたくなった事が過去数回あっても一応上司なわけだし。
面と向かって馬鹿とは言えないなぁ。面と向かわなくてもだけど。心の中で思っとくだけにしよう。
何だか妙に疲れた気分でタバコに火をつけると、やっと宿に戻る気になったらしい兄を弟が背中を押してドアへと促していた。
扉を開けようとした兄が、ぐるっと振り向いてハボック少尉を見る。
「少尉あんたもさ、一応そいつ上司なんだし、あんまり馬鹿な事考える前に止めてやれよ。」
「…そいつは俺の役目じゃないんだが。」
普段ストッパー役で監視役の鷹の目は、今頃街中でキビキビ忙しく動き回っているだろう。
「中尉がいるときは良いよ、でもいない時くらいはな。今は部屋に俺達しかいなかったけど、他人に聞かれてたら事だぜ。
少尉だって嫌だろ、あんな馬鹿な事言うのの部下だって思われるのは。」
「は、鋼の。さっきから少し酷いんじゃないか?」
「うるせー、男が妊娠出来ると思うような馬鹿が上司だったって知って、俺は今機嫌が悪いんだ。
もう一回ジュニアスクール入り直して、おしべとめしべから勉強してこい。」
「兄さん、いくら本当の事でもそれちょっと言い過ぎ…。」
兄の言葉に反論出来ずにガックリ項垂れるロイの胸に、フォローになってない弟の言葉が突き刺さる。
ああ、早くホークアイ中尉帰って来ないかなぁ。この人明日使い物になるんだろうか。
遂に床に突っ伏して死体のように動かない上司を横目に見ながら、ハボック少尉はゆっくりとタバコの煙を吐き出した。